2011年05月28日

うとう女声定演

うとう女声合唱団第25回定期演奏会でした。
申し訳ありませんでしたが前半は間に合わず、休憩後の4〜6ステージを拝聴いたしました。
第4ステージは賛助の「うとうジュニア合唱団」、「鉄道の歌メドレー」など、いつもながらの愛らしさに素直な表現力も加わって楽しいステージでした。一番小さい女の子が年長のアルトの子達にひとり混じって一生懸命歌っていたのが可愛かったなー。
第5ステージは川村昇一郎:無伴奏女声合唱のための「なつかしい日本のうた」から「どこかで春が」「通りゃんせ」など。日本語のディクションが非常に上手い。わざとらしく子音を強調するわけでも余計なニュアンスを加えているわけでもないのに、ことばがとても自然に歌に乗っかってくる。指揮者の辻村先生の日頃の薫陶ぶりが良く分かります。さすがです。
最後は今やこの合唱団の恒例となった混声合唱ステージ。女声合唱団でも混声を経験することは絶対必要、という辻村先生のお考えだと思いますが、私も全く同感。かつての先生の教え子さんや市内の有志男声とともに、団伊玖磨の名作「岬の墓」。明確な主題と変奏、シンプルでダイナミックな構成の中にも時折光る独創的なアイデア、日本合唱史に残る大傑作です。
アカペラで歌われる導入部の突然転調は今聴いても新鮮です。でもここはほんとうに難しい。ピアノが弾きだしたときピタッと合うのは至難です。今日も微妙に合わなかった気がするけどなんとかクリア。そのあとは圧倒的なエネルギーを感じさせる見事な演奏でした。これも日本語の扱いが上手いので、堀田善衛の素敵な詩がよく伝わってきました。
昭和38年の作といいますから随分前の曲だけど、この曲は力がありますねー。絶対に歌い継がれていかなければならない1曲です。そういう意味で演奏者にも聴く側にも若い世代が多いこの演奏会で「岬の墓」が演奏されたことは重要だったと思います。
実は35年ぐらい前に一度指揮をさせていただいたことがあります、あの頃はほんとに無知で無恥だったなー。この曲のダイナミズムを全然分かっていなかった。機会をいただけるならもう1回挑戦してみたいな、とも思いました。
posted by りょうじー at 23:57| 青森 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 演奏拝聴記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

つけ麺File 017

らーめん道場 醤油や本舗むらさき《コク節つけめん》


つけ麺017(むらさき).jpg


つけ汁は濃厚魚介ドロ系。旨みが勝っているのでしつこい感じはしなかった。添えてあるレモンでほんのり酸味をプラスすればちょうど良い。
麺ももっちりとのどごし良し。炙ったバラチャーシューなど丁寧な仕事だ。
青森市、観光通り沿い。
posted by りょうじー at 23:09| 青森 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 美味特記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

荘厳ミサ報告-追

missasolemnis2011.5.8.jpg

青森ベートーヴェンスコラーズ第7回公演「ベートーヴェン:荘厳ミサ曲」の音源・画像・動画が徐々に集まってきました。
ご提供いただいたみなさま、ありがとうございます。
聴けば聴くほど、観れば観るほど冷や汗ものですなー。怖いもの知らずというやつです。
でも、こういう無謀ともいえる挑戦もたまにはなけりゃぁ人生つまらないってもんじゃござんせんかね?
posted by りょうじー at 00:37| 青森 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 本番流汗記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

英国王のスピーチ

1920年、英国。時の国王ジョージ5世の次男ヨーク公アルバート王子(コリン・ファース)は大英帝国博覧会閉会式で父の代理として多くの観客とラジオのマイクの前で演説をしようとしていた。しかし幼いころからの吃音症で、気持ちは焦るが言葉を発しようと焦れれば焦るほどうまくしゃべることができず国民は落胆する。
妻のエリザベス妃(ヘレナ・ボナム=カーター)は、そんなアルバート王子に深い愛情を注ぐと同時に、王室の一員として国民に尊敬される王子として認められることこそ必要と考え吃音症の治療をすすめる。王室づきの医師では埒があかないと考えたエリザベス妃は、市井の言語聴覚の専門家ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)のもとへ赴き、匿名で治療を依頼する。
短気で怒りっぽいアルバート王子は奇妙な治療法を提示するローグとしばしば衝突するが、ローグの辛抱強く真摯な対応に、身分が明らかになってからも二人の間には徐々に固い信頼関係が築かれていった。
1936年、父王ジョージ5世が崩御。いったんは長男のディヴィッド王子が国王に即位するものの、不行跡が目立つディヴィッド王子はすぐに退位、アルバート王子がジョージ6世として王位を継承することになるのだが・・・・・・・


第83回アカデミー賞作品賞、評判どおり良い映画だった。対抗馬の「ソーシャルネットワーク」が獲るより良かったんじゃないかなと思うよ。
ストーリーとしてはいたってシンプル。言ってしまえば吃音障害のひとが周囲の応援でそれを克服していく、というただそれだけ。だけどシチュエーションが英国王室、20世紀から今世紀にかけてもチャールズ皇太子とダイアナ妃のセンセーショナルな話題や、この度のウィリアム王子とキャサリン妃のロイヤルウエディングで注目されてきたこともあって、王室内幕もの的な部分も知ることができとても興味深かったですなー。
主演男優賞のコリン・ファース、監督賞のトム・フーパーいずれも納得の受賞だと思わせるし、なんといってもジェフリー・ラッシュの繊細な演技が素晴らしい。妻役のヘレナ・ボナム=カーターの存在感もすごい。
静かな映画です。
だけど第二次世界大戦に向かって否応なく人々が歩を進めざるを得なかった暗鬱たる時代がみごとに描かれていたと思います。
単なるヒューマンドラマに終わらない、強い力を秘めた1本です。

★★★★★ 地味だけど退屈しない・・・これはスグレモノの証拠
posted by りょうじー at 12:17| 青森 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 完全個人的映画評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

荘厳ミサ報告-4

「やるしかない!」と自分を叱咤激励してきた荘厳ミサですが、正直言うと「手を出しちゃいけないものに手つけちゃったな」とちらっと思ったりもしたのです。
「第九」も然りですが、人類史上稀有な曲というのは、生まれつき才能を持っていて研鑽を積み勉強と経験を積み上げた人こそがやれるのであって、私みたいな半可通が「これもちょっとやってみたいねー」ぐらいの気持ちで取り上げるのはもってのほかなのですよ。顰蹙をかった向きもあろうかと思いますが、その点は素直に反省しております。ご勘弁を。
実際今回やってみて身に沁みたのは、自分はなんてちっぽけな人間なんだ、ということ。こういう巨大な創造の前では、ガリバーを見たリリパットの小人のようにひるんでしまいます。
冷静に振り返ってみて、荘厳ミサを《100》とすれば今回の演奏は恐らくは《1》程度しかできなかった。ベートーヴェン先生から次々繰り出される課題(それもごく基本的なところ)を冷や汗をかきながら必死で解くのに精一杯だった印象です。
大きく乱れたところもひとつふたつじゃないし、小さい傷を数えあげたらほとんどきりがない。全ていっぱいいっぱいで全然余裕がなかった私の責任です。「不備」を指摘されれば返す言葉はありません。

しかし、とにかくステージ上にいる全員が最後まで力を惜しむことが無かった。この荘厳ミサを東日本大震災のほぼ2ヶ月後に演奏する意味をみんなが思い、自分の役割を最大限に果たそうとしたしたことは確かだったと思います。そのことを思い返すと今でも胸が熱くなる。
演奏のレベルは口がさけても高いとはいえません。だけど、いっしょにやらせていただいた管弦楽団、合唱団、ソリストのみなさまのことを私はとても誇りに思っています。どこへいっても自慢できるメンバーでありますし、感謝の気持ちは言い尽くせません。

「もうこれは演奏する機会はないだろう」とか「一生に一度やれたからいいや」というような声が演奏会前にはずいぶん聞かれたものです。それなのに打ち上げではほとんどの人が「再演するしかないよ」「4年後ぐらいならいけそうだよ」「いっそオリンピックのように4年に1回と決めちゃいましょう」と口々に言われていました。
みんなこの曲の虜になってしまったんだなー。今日の演奏はこれで精一杯だった。しかし、次は絶対もっとアップします!というみなさんの本番よりも熱い心にさらに感激しました。
でもねー、だんだん爺いになっちゃうんだよ、俺は。
まぁ、この意気込みが次の世代へと受け継がれていくのならそれは大本望なわけですが・・・・・。

聴衆の全てのみなさま、ホールのスタッフをはじめ裏で協力をしてくれたみなさま、今回一緒にやってくださった演奏者全員、私が気がつかなかったところで支えていただいた方々全てのみなさまに心から感謝いたします!

(完)
posted by りょうじー at 17:12| 青森 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 本番流汗記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

荘厳ミサ報告-3

ベートーヴェンの荘厳ミサは超大曲、アマチュアがこれをやり遂げるためには途方も無い体力と精神力が必要に違いない。これまでずっと合唱の部分を練習してきて実際大変だったし、オーケストラと合わせたときも必要エネルギーの大きさを実感していました。もしかしたら演奏者全員が本番途中でヘロヘロになる恐れがある。そこで第2章のグローリアが終わったあといったん休憩をいただくことと、Sanctusの後半(Benedictus)では一部合唱団は椅子に座ったまま歌う、という作戦をとることに。
ソリストたちの歌う分量もはんぱじゃないし、当日のステージリハーサルも、確認事項はいっぱいあるけれど、いけそうなところは割愛して危ないところをピンポイントで押さえることにしました。本番前の休み時間も2時間半にしてエネルギー満タンで開演を待つ体勢をとることにしたわけです。
ところが、昼食をいただいたあと楽屋でスコアを最終チェックしていたのですが、なんだか楽器の音がなりやまない。オーケストラの皆さんが弁当を後回しにして、ステージ上や舞台裏でセクションごとに自主練習をして下さっていたのでした。ほんとうにありがたい!その意気に感じないわけにはいきません。一気に身も心も引き締まりました。
再び「やるしかない!!」と決意を新たにしましたが、私自身もしかしたら舞い上がってしまって頭が真っ白になってシッチャカメッチャカになってしまうのでは、という恐怖もまだどこかに残っています。

時間は容赦なく過ぎ、舞台袖へ。
3分前1ベル、そして定刻の本ベル、合唱団、オーケストラの順で配置につきます。チューニングが終わり、4人のソリストたちといよいよステージへ。
1,000人の聴衆の皆さんの期待がひしひしと伝わってきます・・・・・・・・・・・ん?だけどなんだか暖かい。この優しく包み込むような空気はなんだろう。

実際はそんなことではなかったかも知れません。だけど私はそう感じた。その瞬間不安や緊張はすっとなくなりました。

バーンとイントロダクションの第1音が鳴り響いてそのあと、気がついたときにはGloriaの最後に残る合唱の響きが鳴っていました。あわただしくシャツを着替えて後半も、Credoをはじめたと思ったら、あっと言う間に最終章Agnus Deiになっていた・・・・・・・

数日前までは長い・でかい・重いを、あんなにくよくよ思っていたのに。

(続く)

posted by りょうじー at 21:16| 青森 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本番流汗記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

荘厳ミサ報告-2

話は少しさかのぼります。

5月5日最終リハーサル、7日にゲネプロの8日本番というのが今回の演奏会直前の日程。まずまず願っても無いスケジュールです。5日の午後にはソリスト4人の先生方も入られることが決まりました。
ところが私の身内に考えてもみなかったアクシデントが発生、私自身も気づかないうちにどこかに疲れが溜まっていたようなところもあったのか、5日の最終合奏練習は絶不調になってしまった。思うように手が動かない。脳内はすぐにパニックになってしまう。これではいかん、と気ばかり焦って集中力は急激に減っていくばかり。これまで経験したことのないような演奏会直前の不調でした。的確な指示でみなさんを安心させる方向に持っていかなければならなかったのに、逆に余分な不安を抱かせることになってしまった。GWの真っ只中、無理をおしてお集まりいただいたのに、ほんとうに申し訳なかったと思っています。
なんとかしなければ、と思うとついつい力まかせに腕を振ってしまう。バランスの悪い動きにもなってしまう。肩から上腕にかけて痛い。おととしの五十肩の恐怖がよみがえってきて、だんだん腕が上がらなくなっちゃうのでは、と不安が襲ってきます。腰のあたりもなんだかギックリの前兆っぽい不気味な痛みがある。演奏会直前に一気にハードルが高く(これまでだって決して低くはなかったのに)なってしまいました。

でもね、心配性で貧乏性のくせにけっこう楽天的なんだよね、俺って。(ノーテンキともいうけど)
「なんとかなるさ」でこれまで生きてきた私です。「なんとかするしかないじゃないか!」と開き直るのも早いのだ。
幸い合唱団のバス・K氏は整体師さん、ゲネプロ前にお願いして簡易マッサージしてもらったら身体もだいぶ楽になりました。
ありがとうね、Kさん!

そして通し稽古開始。ありがたいことにホールで本番と同じセッティングでできる。なんてったって通すだけでも1時間20分以上かかってしまうから、問題があっても返す時間はありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やっぱり傷は山ほどありました。「ここは怖いな」と思うところが数々、新たに発生した問題点もあった。
それなのに、焦りは少しも生じなかった。
今でも不思議に思うのは私も含めて、なぜか全員の不安は減少していった。もちろん、ミスは本番では繰り返すまい、と心に誓いながらのゲネプロではありましたが、演奏者の気持ちがある一点に収束していくのを映像で見るような、ほんとうに不思議な感覚でした。
傍目から見ればけっこうボロボロのゲネプロだったかもしれない。私も含めて奏者全員、個人的にはどこかに不安が残っていたとは思います。
でも、全員が「でも、大丈夫!!」と確信したゲネプロになりました。

不思議だ!

(続く)
posted by りょうじー at 15:30| 青森 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本番流汗記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

荘厳ミサ報告-1

青森ベートーヴェンスコラーズ第7回公演、ベートーヴェン「荘厳ミサ曲」ニ長調作品123、おかげさまで無事終了いたしました。
道のりは長かった。前回2008年の第6回公演から丸三年だからなー。スコラーズとしてはこれまでで最も長大な作品であったこと、予想をはるかに超える難曲であったことなどからなかなかペースが上がらなかったが、約一年前に2011年5月8日の公演を設定したのは結果的にまずベストのタイミングだったんだな、と思います。
演奏会開催のための準備が大詰めを迎えつつあった3月、ここからがふんばりどころであり、骨身を惜しまずがんばろうと関係者みんなが改めて決心を固めていた矢先の東日本大震災。北東北のなかでは地震・津波の直接的な被害のなかった青森市だが、停電から物資不足、エネルギー節減への流れは厳しかった。
しかし、これらの難局を乗り越えてこその「ミサ・ソレムニス」ではないのか、という思いは逆に高まったような気がします。単なる自己満足のための演奏で終わったら、福島・宮城・岩手の被災した方々に申し訳がたちません。そこに今も大きくのしかかっているに違いないあまりに大きな悲しみと痛みを私たちも少しでも背負おう。直接現地に行って行動ができるわけではないけれど、せめてこの演奏から希望の光を届けよう。力不足はもとより承知の上。だがその思いだけは会場にわざわざ足をお運びいただいた皆様と共有したいと願った演奏会でした。
ベートーヴェンの同時期の作品とされる「第九」とは違い演奏機会があまりないこの「荘厳ミサ」、知名度という点ではあまりない。いわゆる知られざる名曲に分類されるかも知れません。連休前のチケットの売捌き状況ではあまり芳しくない情報もあってお客様の入りも気になっていたところでした。おまけに今回はわが市最大の文化会館大ホールだし、もちろん聴衆が少なくても逆に意を強くして演奏に臨もうと覚悟はしていましたが、私たち演奏側の悲しい習性で入りはどうしても気になるものです。
ところが、開場を前にエントランス前のロビーにはなんと200人の行列が。あわてて開場を5分早め客入れ。
本ベルが鳴りチューニングが終わって、指揮台まで歩く途中にふと客席を見るとほぼ1階席は見た目満杯。なんと1,000人の聴衆が演奏開始をお待ちになっていたのでした。

もうここで私は大きく感動してしまった。
このホールで私たちの演奏を聴くことで共通の思いを持とうとする人の心の優しさを強く感じた瞬間でした。

そして演奏ははじまった・・・・・・・・・


(続く)
posted by りょうじー at 09:54| 青森 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 本番流汗記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

ミサソレ覚書(6)

ビンラディンが米国の特殊部隊によって殺害されたようだが、このことによってテロが無くなるとは世界の誰も思わないだろう。報復の連鎖が拡大していくのでは、と逆に心配です。
ベートーヴェンが生きた時代のヨーロッパも、戦火があちこちで燃え広がっていた。平和のためのバランスではなく、争いのためにバランスをとろうとする虚しさをベートーヴェンは「第九交響曲」のなかでシラーの詩を引用して訴えた。ほぼ同時期に書き進められた荘厳ミサにも、通常ミサの典礼文を通して争いあうことの愚かさと、平和な世界の到来への希求の思いを込めています。
最終章のAgnus Deiは、もっともダイレクトに具体的にそれが現れている章です。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis. Dona nobis pacem.
(世の罪を除きたもう神の子羊よ、我らを憐れみたまえ。我らに平安をあたえたまえ。)

テキストとしてはこれだけなのにこの最終章はけっこう長い。それはDona nobis pacemの聖句が後半幾度と無く繰り返されるから。ベートーヴェンスコラーズの薀蓄家、M氏が数えたところではpacemは合唱だけでも40回ぐらい出てくるそうです。ベートーヴェン先生は世界中の全ての人が分かるまでpacemを続けたかったに違いありません。いくら書いても書き足りなかった。ほんとうにこの地球上が平和になるときまで訴え続けるべきだ、と考えていたのだと思います。
ベートーヴェンの交響曲のフィナーレはいずれも華やかで爆発的ですが、このミサの終わりはあれ?というほどあっけない。悲しいことにこの願いに終わりはないのだ、と言いたいのではないでしょうか。
確かにベートーヴェンから200年経とうとしていますが、結局人間は変われなかった。そんな分かりきったことをいまだに実現できていない。でも、願い続け訴え続けることをあきらめるわけにはいきません。

パンドラはゼウスから贈られた絶対開けてはいけない箱を好奇心から開いてしまう。箱に詰まっていたあらゆる災厄が世界に飛散してしまったが、箱の底にはただひとつ光を放つものが残されていた。

その名は・・・・・「希望」。

posted by りょうじー at 23:25| 青森 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 練習雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

ミサソレ覚書(5)

今回の震災で痛感したことのひとつはタカをくくることの愚かさ。
Kyrie、Gloria、Credoと順に練習を進めてきましたが、この3章で合唱は分量的に7割強の感じ、ポリフォニーの部分でもベートーヴェンは単純な追いかけっこに書いていないし、再現部があっても前と同じことが繰り返されることがない。歌唱技術的にも難度が高いのでなかなか進度が上がらなかった。Sanctus、Agnus Deiは後回しでもなんとかなるか、とタカをくくったところがあったのをただいま猛省しております。
Sanctusからいよいよこのミサ曲の心髄が見えてくるというか、ベートーヴェンがこのミサ曲を書かなければならなかった理由が分かるというか・・・・・濃密でありながらあくまでも清らかでどこまでも深い。実は私たちの演奏の真価が問われるのはここからだったのです。

Sanctus(聖なるかな)、低音楽器から静謐に始まります。やがてトロンボーンの三重奏が切々と響き渡る。アルトソロが歌い出せば私たちはひざまずいて祈るしかない。
Pleni sunt〜Osannaと一瞬光彩あふれるもののそれはすぐに遠ざかり、ヴィオラを中心として木管楽器とチェロ・コントラバスによる穏やかな楽想(曲間にありながらなぜかPRAELUDIUM《前奏曲》と名づけられている)に続いて、コンサートマスターのヴァイオリンソロが始まると、そこからはBenedictus(祝福されよ)。ソロの四重唱との絡み合いはあまりに美しい。
そしてSanctusとは全く異なるOsanna(Sanctusと同じOsannaに回帰することが多い)が、天上へと漂い昇っていく。
ベートーヴェンがKyrie冒頭に付した Mit Andacht(敬虔な祈りとともに)のことばが、このSanctusにも再び記されています。あらゆる悲しみとあらゆる希望に祈りを込めて演奏しなければならない楽章であり、願わくばそうしたいと思っています。
posted by りょうじー at 23:39| 青森 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 練習雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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